有限会社エム・テック・サージョン 山﨑祥史氏(2006年5月11日取材)

突然だが、君たちは愛車のボンネットを自分でオープンすることができるだろうか。死ぬほど文系の僕はオープンするボタンが分かりませんがね。ガソリンを給油する際にも一か八かで右横のボタンを押したらあーた、後のトランクがガバッと開きやがることがしょっちゅうなんだ。だから、タイヤの交換なんて難解な作業は人生で一度もやったことがない。そう、当然のことながらオイル交換なんて言われなければ5~6年は放ったらかしさ。そんなとき街灯も満足にない真夜中の福井県のすっげぇ田舎道を一人きりハンドルを握りしめて家路を急ぐ真っ最中のグーグルマップ以上に頼りになるのが有限会社エム・テック・サージョンの山﨑祥史さん登場。いいかい、山﨑は「やまざき」ではなくて「やまさき」で祥史は「よしひと」と読むんだよ。もう一度言おう。名は「やまざきよしひと」だ。

以前は3000キロでオイルを換えていた僕だが、今の仕事ではほとんど車に乗らないので3か月に1回だけ換えている。そして、次回はエレファントも一緒に交換する予定。でも、それは間違いなくゾウさんなので正解はエレメントだった。ハハハ、僕って山﨑さんがいないと本当に困ったちゃん。そんな山﨑さんはこの僕と同じ年齢なので若そうに見えても所詮、DNAレベルではおっさんだぜ。

この社名の「サージョン」という横文字の中に含まれているのは、聞くところによるとフランス語かドイツ語かポルトガル語の「医者」という意味とのこと。つまり翻訳すると「あなたの大切な愛車のかかりつけ医」という意味だろう。そこで5月11日(木)に岐阜県揖斐郡の好き勝手に改造された会社を訪れた僕は、山﨑祥史さんの昨日までの過去と今日から明日への熱い思いを語ってもらった。

どうでもいいけど車は改造しないのに借りている工場は徹底的に改造されちまっている哀川(翔)。まったく何もなかった工場の中が、いつの間にか2階建ての4LDK並みに進化していた。だから、いいことなのか?法律的に問題ないのか?きっと合法だろうけど大家的にはOKなのか?まあいい。

そして、僕の愛車であるドリーム号のオイル交換をしている間にあーだこーだと聞きまくりました。しかし、このとき大きな問題が発生しちまった。山﨑さんにはまったく苦労のカケラもない。そう、この取材記事には苦しいことや悲しいことやさらに苦しいことやもっとつらいことが大量になくてはならないのです。できれば極貧の苦労話でお涙ちょうだい路線が最高にウエルカムなんだってばよ。

そして僕は真剣に途方に暮れかけた。他人のハッピーやラッキーなんてどこのどいつもこいつも誰も読んじゃくれないゆえに僕は考えた。平成10年にたった一人でスタートした彼だから100%何かあるはずだってね。そこで出身は神奈川県川崎市。おかしい。だって、ちょっと前に聞いたときには高知県と言っていたのに。におう。すっげぇにおう。いいですねぇ、この調子。この調子だよ、僕。

そこでだ、このことを月曜日の夕方に熱い珈琲をすすりながら見る2時間もののサスペンスドラマの取り調べよろしく強気に質問したら、生まれは川崎で育ったのが高知の山間の村ということだった。山﨑さんがまだ幼い頃に両親は亡くなった。しかも、それはとても悔しい事件と悲しい事故だった。

それは山﨑さんのお母さんが32歳で山﨑さんがまだ4歳の頃、お風呂から上がったお母さんの体に腫れものが見付かったので、その足で横浜市内にあるすっげぇ大きな病院を訪れた。そのときそれを処置した医師が「もう何も心配することはありませんよ」と平然と言い放ったものの、あろうことかその4時間後にはお母さんは病院の中で冷たくなっていた。おかしい!これは医療ミスに違いない。

しかし、今から37年以上も大昔の時代のことだ。それを追求する術などまったく分からなかった。だから、本当の死因は今でも不明だが、なぜか葬儀にかかった費用はすべて病院が支払ってくれた。それって確実に決まりだろ。思いっ切り医療ミスだよね。そうだよね?ね?そして、ある朝、4歳の山﨑少年はいつもどおり目を覚ましたけれどもうそこにはいつもどおりのお母さんの姿はなかった。

山﨑さんにはお母さんの記憶が薄っすらとしか残ってない。それから1年半後には、釣りに出掛けたお父さんが交通事故で帰らぬ人となってしまった。5人乗りの車が崖から落下して、お父さんだけが亡くなった。その後、妹と2人きりになった山﨑さんはお父さんの生まれ故郷である高知へ帰った。

それからはお父さんの弟であるおじさんに高校を卒業するまで育てられた。そして将来、この青春の真っ只中を過ごした高知が山﨑さんにモーレツに影響を与えることになる。それはまた後ほどにしてカツオで有名な高校を卒業すると岐阜県にある大きな紡績会社に入社した。そこで2~3年だったか機械のメンテナンスを行った後、昔から二輪や車には興味があったので自動車整備会社に転職した。

その後、24歳のときにホンダに入社すると、ありとあらゆる技術を身に付けまくり33歳で独立。独立の理由は、このままホンダにいたところで先が見えてしまってうんざりしたから。いくら技術が素晴らしい会社だと言っても組織の中の人間関係が最悪だった。見切りをつけて1人でスタートだ。

自動車の整備・修理、そして販売が主な仕事だが当然、独立した当初は1人もお客などいなかった。でも、どんな小さな仕事でも地道にコツコツと積み上げて行った結果、現在では4人の優秀な社員を抱えるまでに見事に成長した。そしてリピーター率は90%。ここで買った人はまたここで、ここでオイル交換をした人はまたここに鮭の如く3か月後には戻って来る。名付けて「鮭の遡上商法」だ。

営業は一切しない。お客がお客を連れて来る、呼んで来る、やって来る。とにかく居心地がOKだ。

店舗にはビートだけでなくマニア垂涎のものばかり。先日も銀行から融資を受けるとオークションで800万円と700万円のNSX、250万円のS2000を4台も仕入れたけど売れるかしゃん。

ハハハ、基本的に銀行及び信用金庫からの借金はまったくノープロブレムの頑丈な神経の持ち主だ。同い年の僕はと言えば、住宅ローンでさえ苦になって仕方ないのに祥史、あなたって祥史は・・・。

そして、中途半端なリストラではなく完璧なレストアを施すとNSXなどを全国に売りまくりだぜ。そこまでの会社にした。まったく知り合いのいないこの岐阜でそこまでの会社にした。それはきっと信用だろう。さらなる上を目指すだろうと思った僕は、今後の事業展開を丁寧な滑舌で尋ねてみた。

「米!」と山﨑さん。
「は?」と杉山さん。

山と川のキレイな四万十町のお米を売りたい。高知の実家のお米を売りたい。山﨑さんは熱く語るとお米が入った袋をひとつ持ってきた。あらら、本気じゃねぇかよ。現在の事業はいつか将来、誰かにバトンタッチするつもりだ。しかし、お米はずっと長く続けたい。父と母を亡くした5歳から高校を卒業するまでお世話になった故郷の四万十を微力ながら助けたい。それが今の彼の熱い思いなんだ。過疎で悩み減反で悩む故郷に光を当てたい。当然、それを会社の売り上げにもリンクさせて車だけに頼らぬ強い体質にしたい。「どんな苦労でも全然、苦労とは思わないよ」と微笑む山﨑さん。そう、どんな状況でもどんな困難が発生しても今の自分がフツーなんだと本当に本気で真剣に思っている。

両親を事故で亡くしても、見知らぬ地へ連れて行かれても、まったく違う環境で社会人になっても、その地で事業を始めた際の苦労も、泣きたいほど苦しかった経験も今となればみんなフツーなんだ。

しかし、これだけの事業の展開を考え、すべてを着実に成し遂げたからにはフツーとは言いながらも明確な野望があるんじゃないかと思って丁寧な日本語で尋ねてみた。すると「夢はカタチがないから見ない。実感が湧くのは目標なんだよ」ってね。だから、分厚い経営計画書もムダな朝礼もなけりゃ朝のラジオ体操も絶対にしない。山﨑さんは「会社ごっこ」など1ミリも興味のカケラもないんだ。遠くの生まれ故郷に恩返しをすることで前頭葉や海馬、それらを総称すると頭がいっぱいなんだよ。

お米を販売する事業はカタチに見えない浅い夢なんかではなく、目の前に輪郭まで鮮明に見えている両手を伸ばせば届くそんな目標なんだ。今の自分がフツーと思える人間に育んでくれたその山と川の遠くの生まれ故郷に今まさに、カタチにできるような恩返しをするべくフルスロットルで驀進中だ。

[愛と勇気の編集後記]—————————————

借金がまったく平気な山﨑さんは、また銀行で融資を受けてお米の蔵を作るとか。祥史、あなたって祥史は・・・。ま、それだけ真剣に取り組んで故郷の四万十に光を当てたいのだろう。そう、自分の生まれ育った地に貢献することはすっげぇ大切だよね。あまりにもそれをないがしろにしている人は結構多い。あのね、鮭ですら生まれた川に戻るんだよ。しかし、この四万十のお米のお話は、今回のこの取材で初めて知った僕だった。一袋いただいたのでさっそく帰ってからパナソニックの炊飯器で炊いて食べたら餅米のように絶品だった。いいかい、マジで。とは言え、もうすぐ愛車のタイミングベルトの交換時期だし山﨑さんがいないと車にも乗れやしないので従来の事業も頑張ってください。故郷だけじゃなくて僕に貢献するのも大切です。今日は本当にありがとうございます。では、また。

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