肝しぐれ煮というらしいが、幼い頃からこの卵が大好きだった。だが、ここ数年まったく見かけなくなり随分と探したものだった。だが今日、西友で遭遇した。
あまりに嬉しくてこの喜びを誰かに伝えようかと本気で考えたが、おそらく誰も喜んでくれやしないだろうから、一人でビールを飲みながらコソコソと愉しんだ。
これは実際に存在する社長をモチーフに書いたノンフィクションです。
しかしながら、実名を挙げると確実に私が恨まれるだけなので、
主人公をそこらの主婦に置き換えてみました。
2012年5月。
愛新覚羅溥儀子は、名鉄岐阜駅前にあるLOFTで偶然見つけた
よく切れるハサミを買った。
「わぁ~、こんなハサミが欲しかったの♪妹の溥傑子にも教えなきゃ」
それはとてもよく切れるハサミで500円だった。
溥儀子はそのハサミがよほど気に入ったのだろう。来る日も来る日も
まったく嬉しそうにそのハサミで中日新聞の社説欄を切り抜いていた。
一週間後、甘い経営姿勢で倒れ掛かっている名古屋ボストン美術館へ
アーノルド・スカージのドレスを見に行った。
「わぁ~、こんなドレスが着てみたかったの♪でも、デブだから無理ね」
溥儀子は凹んだ。
その後、JRタカシマヤ13階の恵亭で鹿児島黒豚ロースかつを食べた。
キャベツのおかわりは自由なのでキャベツだけでも2リットルは食べた。
そして、さらにデブになった。
溥儀子は凸んだ。
「ちょっとハンズでも見に行こうかしら。私ってハンズ派だから。うふッ」
溥儀子はエスカレーターの左側に並び、東急ハンズの6階へ降り立った。
すると、一週間前にLOFTで買ったハサミが350円で売られていた。
「な、なにッ!これは一体どういうことなのよぉう!」
溥儀子は人目もはばからず乱れに乱れた。
その後、あれだけ大好きだったハサミ自体を嫌いになってしまった。
今では中日新聞の社説欄を切り抜く気力さえも失った。
という社長の実話です。
LOFTや東急ハンズやハサミやアーノルド・スカージのドレスを
あなたの周りのビジネスシーンに置き換えてみてください。
そのときハサミが欲しかったのだから、それで満足すべきだし、
往復1040円かけて金山まで行ったのだから、高額のハサミになります。
でも、それ自体の価格しか頭で判断できない社長は結構多い。
もっと肝心なことは、ハサミを欲しいと思って手にしたときから今日まで
満足した気持ちを数値に換算すれば、数万円以上の価値があるということ。
目の前の値札だけに囚われている間抜けな社長に明日はないですよねぇ。
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■┛ 今日の満足度: 砂漠が渇水 ←… ★★☆ …→ 砂漠が満水
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☆☆☆…無気力 ★☆☆…中の下 ★★☆…中の上 ★★★…絶好調
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一┃筆┃後┃記┃
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今朝、ミスタードーナツのエビグラタンパイを食べました。
いつもの値引きセール中で120円だったので。
以上、報告まで。
最近、根気というかヤル気が少しずつなくなっているので
自己分析をしたら、もともと根気もヤル気もない男でした。
以上、連絡まで。
では、また次回、お会いできることを楽しみにしております。
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相変わらず薄暗いうちに目が覚めた。ホテルの窓から天津テレビ塔を眺めた。
少し散策しようと思ったが、せっかくネットが24時間も使えるので仕事をした。
天津十景のひとつに数えられている街並みを散策したがタバコの煙臭かった。
長さ700メートルにわたり、民芸品や日曜生活雑貨類が所狭しと並んでいた。
すぐ近くの海河だが、水中が見えないこの川で泳いでいる地元民が4人いた。
アーケード街フェチには大好物の食品街だが、筆舌に尽くし難いトイレだった。
見る分にはそこそこ楽しめるものの買おうという気にはまったくなれなかった。
使い果たして1元も持っていなかったし。マクドナルドもどことなく薄暗かった。
「巨大な蛾のサナギか?」と思いきや、油で揚げた麻花という食べ物だった。
溥儀が1927年から天津を離れる1931年まで住んでいた静園が渋かった。
近くの路地裏が趣深い。後姿の男性が熱く語ってくれたが、意味不明だった。
まだ実際に住んでいるという現在進行形が物凄い。若い4人家族を見かけた。
溥儀が紫禁城を終われ、天津で最初に移住した場所がこのレンガ色の張園。
再び天津空港。周辺一帯は大掛かりな工事中だった。では、搭乗手続きへ。
そろそろヨーロッパ圏へ行きたいのだが、今のところ5泊以上の日程は仕事に支障を来たすので無理かも知れない。ここ数年の旅先はアジアが続くだろう。
中国では水の心配をしていたが、なぜか異様なほど胃腸の調子が良かった。
老人たちの憩いの場である天壇公園では太極拳などで汗を流す人々がいた。
そこに圧倒的な存在感を誇る祈年殿があった。私が住んでいる町は祈年町。
親しみを覚えた。瑠璃色に覆われた屋根や朱色と金色の壁面が眩しかった。
建物には釘を使用せずに柱のみで支えてあった。昔の中国人は素晴らしい。
祈年殿東配殿には祈年殿の資料が展示されていた。祈年殿西配殿もあった。
少し逸れた場所には廃墟のような古めかしい建物と防火用の水瓶があった。
この中で愛新覚羅の末裔が書と絵を描いていたが、本当にそうなのだろうか。
少しばかり雨模様の天安門広場。人民英雄記念碑の向こうには人民大会堂。
毛沢東は、中華人民共和国の建国をこの門の上から世界に向けて宣言した。
故宮の正門である午門だが、さすがに日本の城郭の虎口とは大いに異なる。
アンティーク調の自動販売機が2機並んでいたので気になって仕方なかった。
映画『ラストエンペラー』の中で愛新覚羅溥儀が即位した舞台がこの太和殿。
10時間あっても観切れない規模なのでツタヤでDVDを借りてこようと思った。
とりあえずビールを飲んだ。胃腸は絶好調だが味覚はまったく合わなかった。
天津喜来登大酒店。100元(24時間)でネットを繋ぐと15分ほど仕事をした。
4時半に目が覚めた。窓から電車に向かって話し掛けている自分に感動した。
ホテルの朝食も微妙に味覚が合わなかったが、とりあえず胃の腑に収めた。
万里の長城へ向かう途中、少し遠かったがバスから降りると鳥の巣を眺めた。
万里の長城(八達嶺)に完璧に着いた。必要以上に感動的でしばし閉口した。
想像よりも道幅が狭く、土曜日ということもあり世界中の人々で混雑していた。
人の迷惑を顧みず立ち止まってゆっくり撮影している身勝手な輩が多かった。
だが、そこは大和魂という名のショルダー・タックルで縦横無尽に押し切った。
今回は緩やかな北側の女坂を登ったが、次回は南側の男坂にも挑戦したい。
それはそうと上りは比較的容易だったが、下りは転びそうで普通に怖かった。
おそらく飲茶料理のはずだが、もう何を食べているのかわからなくなってきた。
当然の如く世界遺産の明の十三陵。事前学習が0だったので速攻で調べた。
いつまでも文化大革命を風化させないようにと修復していない建物があった。
十三陵の中でも唯一、定陵のみ地下宮殿が発掘されている。神秘的だった。
しかし、すべての場所においてタバコの煙臭い。明らかに意識が低い証拠だ。
シルクの家瑞華では、巧みな話術と笑顔に翻弄されて布団を買ってしまった。
夕刻の北京駅に行きたかったが、あまりに危険過ぎると知らされて断念した。
軽い気分転換と何かしらのヒントと刺激を求めて初上陸となる中国へ飛んだ。
機内では先日、再放送で観たばかりの『相棒』を眺めながらカツ丼を食べた。
約3時間で天津空港に着いた。肯徳基(ケンタッキーフライドチキン)が匂った。
天津から北京へと向かう高速(SA)のトイレも臭った。便器は、TOTOだった。
世界遺産の頤和園(いわえん)は、西太后が再建したことで知られる庭園だ。
世界的な観光地ということもあり、得体の知れない売り子が異様に多かった。
龍には9匹の子どもがいて、その中の1匹が麒麟という解説が印象に残った。
西太后は光緒帝をこの玉欄堂に幽閉監禁し、自らの強権政治を復活させた。
いつものことだが、もう少し事前に歴史を勉強しておけばよかったと後悔した。
巨大な昆明湖は人口の湖。曇天だったが万寿山に聳える仏香閣を撮影した。
北京ダックの老舗で有名な全聚徳で夕食を取ったが偏差値47レベルだった。
北京万豪酒店。有線LANを無料で接続してくれたのでゆっくり仕事ができた。