楽観日記一覧

令和3年の金が信念いや、謹賀新年

令和3年、翻訳すると2021年は全国を思う存分&思いっ切りwithてんこ盛りに旅しまくりたひ。間違いなく旅するよ、僕は行くよ。という熱き思いと願いを込めて新年のご挨拶を書き初めった僕。

その後、早朝から西友で買って来たオードブリーをお年玉を奪いにやって来た連中と一緒に食べた。西友よ、バローを横目に元日も通常どおり営業してくれてどうもありがとう。午後1時、毎年恒例の行事として近くの住吉神社へ初詣に出掛けようとしたら雪が降っていたので延期した僕たちがいる。


2021年の大晦日の午後3時34分はこの僕と一緒にオードブリませんか?

僕ほど和食が微塵も似合わない男も珍しいだろう。だって、58メートルくらい距離を置いて見れば容姿がイタリア系だから。ハハハ、今年も最後だ。冗談でも言わせておくれよ。はい、それくらいの距離があれば誰も文句は言わないと思う巻頭文はここまでです。僕にとっての唯一の致命的な欠点は白川郷の合掌造りのようななで肩だけだ。だから、そんなことはどーでもいいんです。最初に戻って和食ではなく洋食ゆえにお正月もおせちではなくオードブリー。「黒豆なんか食ってられねぇよ」と言ったら「美味しいじゃん」と返した奴がいるが、だったら5月も8月も食ってやれよ、この野郎。この時季にだけ重箱の隅っこで寄り添っている黒豆を溺愛するなんざ、大衆迎合主義の権化のような愚か者だぜ。おせちの黒豆ひとつでここまで引っ張ることができた僕を全力で褒めまくってほしい。では、今からブラッサイの「珠玉の玉手箱」を食いまくります。PayPayに残高があってよかったよ。

その後、やっぱ年越しそばは必須だね。ってことで、いつもの緑のたぬきをすすった大衆迎合主義の権化のような愚か者を油絵に描いたっぽい僕がいた。君たちもせいぜい良いお年をお迎えください。


新幹線の中での「バカは死んでも治らない」というお話

今まさに、ちびっ子ギャングたちが僕の机の上に折り紙で作ったプチケーキを運んでいる真っ最中。そこで思い出したのだが先日、新幹線の中で頭の悪そうな5歳くらいの男の子が大声で騒いでいた。さらに拍車をかけて頭の悪そうな若い夫婦が頭の悪そうな5歳くらいの息子とバカ面で笑っていた。僕の席の1つ右斜め前だったが周りの者たちはジッと耐えて何も言わなかった。さすがに温厚な僕も我慢できずに頭の悪そうな両親の正面に立つと「ちったあ静かにしてもらえませんかねぇ」と丁重に吐き捨てた。すると、車両全体がシーンとした。あ、僕って影響力のある人間なんだ。そのとき僕はそう思った。それから10分くらい経ったとき、怒り狂った頭の悪そうな母親が車掌を連れてきた。その車掌は「幼い子どものことですから・・・。僕にも子どもがいるから分かるんです」と言った。僕は何を言っても通じないと思ったゆえに「はいはい、あっち行け。JR東海の社長に電話するぞ、この野郎」とゴミ扱いしたら僕ちゃん車掌はあっちへ行った。翌日、JR東海のお客様窓口に中指で電話した僕は「怒っていませんからルールがあれば教えてほしいです」と前置きしてから一部始終を日本語で伝えた。結果、そのようなシチュエーションでの決められたルールはないようなので車掌に言って自分の席を変えてもらうしかないとのこと。「でも、その僕ちゃん車掌は大バカ野郎っぽくて『僕にも子どもがいるから』と言ったんで『こっちには孫もいる』と返したら黙っちゃったんです。本当にバカっぽかったですけど当てになるんですかね?」と言ったった。ただでさえ大声を出してはNGな状況の今日この頃なのに誰かが注意するか頭を撃ち抜かないといかんだろ。子どもは騒いでもOKなんだよ。ただ、親には「シーッ」と言って聞かせるフリだけでもしてほしかったし、ちったあ困惑した表情でもしていれば「大変だねぇ」と逆に同情してあげたのに。バカは死んでも治らない。


紙の紙一重

はい、クリスマス・イヴには山下達郎の定番をYouTubeで視聴し、クリスマスの夜にはディケンズの『クリスマス・キャロル』のページをめくるというすっげぇ分かりやすい行動パターンのミーハーな自分が愛おしくて仕方ない巻頭文はここまでです。ふと思ったが、ミーハーって死語か?まあいい。ちなみに、あくまでもページをめくっているだけで読んでいるわけではないのでイチイチ念のため。さらにちなみに、僕のそれは初版が1952年の村岡花子訳のものなので『クリスマス・カロル』と表記されている。僕のとっておきの個人情報を共有できる喜びを今一度、じっくり噛みしめたまえ。とは言え、小説はいいよね。このように何回も読み返すことによってさらにより味わい深くなれば、年齢を重ねるごとに解釈も異なってくるという新たな気付きも生まれる。念のためもう一度言おう。今回はあくまでもページをめくっているだけで読んでいるわけではない。ったく、僕は磯が死んだ。何回も同じことを言わせるな、この野郎。ところが同じ活字でも新聞はと言えば、一週間前のそれはよく燃えるゴミ同然。せいぜい年末の大掃除の際に丸めて窓を磨くために利用されるのが関の山だ。ここまで書いて言うのも何だが、今回はどうやってオチを付けてどのように〆ればいいのだろうか。


(爬虫類なら話は別だが)人として当たり前のことをフツーに実行しよう

ビンボー症と白い髭がアイデンティティでパスタはアルデンテで歩く速さはアンダンテの杉山です。はい、できることならアイデンティティの後に欧陽菲菲をかませたかったものの力不足で申し訳ない巻頭文はここまでです。先日、読んだ記事に『定食屋で会計の際に「美味しかったです」と言ったら店の主人である老夫婦が喜んでいた』というのがあった。こんな当たり前のことがネット上で大きな反響を巻き起こしているとか。僕はしょっちゅう言うよ。何気に連発しすぎてその価値が30年前の憧れのバドワイザーよりしゃびしゃびなほどに。先日の高知市内の店でも会計の際に「全部の料理が美味しかったです」と僕が言うとショートカットの女性スタッフは「本当にありがとうございます!是非またお越しください」と満面の笑みで返したので「岐阜から来たのでそうは来れませんけど」と素直に応えた僕の誠意は何%くらい伝わったのだろうか。よせばいいのに要らんことを言って巨大な墓穴を掘る。生まれて56年と3か月間、ずっとそんな奴ですこの私。根はいい奴なんですけどね。だから、食事を済ませたら黙ってサッサと立ち去るざるを得ないっぽい無機質な券売機が大嫌いだ。しかし、ドン・キホーテでモダン焼きを買って帰っても「美味しかったです」とは誰にも言えない。


穴まで愛して

リアルに「ぜよ」という方言を聞きたかったのに高知市民は誰も使っていなかった。昨晩、高知県は室戸岬からご帰宅した杉山です。奈半利駅→室戸岬のバスでは偏差値60前後のどっかの国立大学の教授っぽい68歳前後の男性から話し掛けられた。室戸岬→奈半利駅→高知駅のバスと列車の中では横浜在住の67歳の本田さんから話し掛けられた。約3時間もジジイと濃厚接触せざるを得なかった僕があまりに不憫で同情するよね。しかも2人とも理系で絵に描いたような文系の僕には話の内容がチンプンカンプンピーだったぜよ。僕の旅先の出会いはこんなんばっかぜよ。ピチピチじゃなくてもせめてシトシトくらいの妙齢の女性との出会いはないものだろうか。この際だから特別に百歩譲って二歩下がろう。ニタニタでもヒタヒタでも可。ううん、やっぱニタニタはちとつらいかも知れない。ちなみに、妙齢とは「若いお年頃」のことであり「奇妙な年齢」という意味じゃないので念のため。ほら、ご覧。日本中に足跡を残している愛用の靴だよ。妙齢の靴ゆえにあと3年は激しく愛したい。


虫の知らせより虫ちゃんの知らせ

これがポーカーだったら至高のロイヤルストレートフラッシュよりストロングな一手かも知れない。とは言え僕、賭け事や俗世間の安っぽいゲームが大嫌いだからポーカーやインベーダーゲームなどを一度もやったことがないどころか麻雀のルールすらもご存知ない。だからと言って決してマジメでもまともでもなく単なる変人だよ。ハハハ、愛人じゃなくて本当によかったよ。だから、そんなことはどーでもいいんです。全国甘党の党首である僕に愛知県西尾市から御座候のつぶあんが飛んできた。虫ちゃん、どうもありがとう。この御恩は今のところスタバのリワードと同じ期日まで忘れません。どうやら原材料がいいせいか賞味期限がやたらと短い。ってことで、今日の晩ご飯のブリの塩焼きと一緒に炊き立ての白いご飯の上にトッピングして食ったろかしゃん。今日も明日もいい一日だろう。


さらに我が家の電気を「おうちでんき」に切り替えてソフトバンクの思うツボ

「パパ、もうiPhone6は恥ずかしいよぉ」と年中無休で丸顔の次女が言った。「で?」とパパの僕。ちゃんと毎月お給料は振り込まれるし、ましてや4日前にボーナスが出たばっかの社会人なんだから自分で買ったらどうなんだ。パパなんてほぼ20年近くもボーナスなんてもらっちゃいないんだよ。家族会議の結果、今回を最後に買ってあげることにしたった。まぁ、前回も同じことを言ったけど。甘いんだからぁ。父親の顔が見てみたい。オレオレ、オレだよオレ。半径15センチの穴が開くほど見てみやがれワレ。義父&義母にお年玉、ちびっ子ギャングたちにクリスマスプレゼントとお年玉、2人の娘は立派な社会人どころか長女は嫁いでいるにも関わらずなぜか2人の娘にもお年玉・・・。12月は出費がかさんで涙が止まらない。まるで飢えたハイエナの如く群れで襲い掛かる女系家族。


粋な生き方

井上真央が自分のお母ちゃんだなんて死ぬほど最高だよね。録画しておいた『少年寅次郎スペシャル(後編)』を見ていた僕が小さくつぶやいた。ドラマの中の彼女の遺影が映画『ある日どこかで』のジェーン・シーモアと重なった。今、僕の部屋にはラフマニノフが流れている。はい、嗚咽するほどセンチメンタルな巻頭文はここまでです。ところで最近の若者はフーテンの寅さんに対して「自分は好き放題しておいて他人には口をはさみ、自分が指摘されるとすぐに逆ギレする人間」と冷めた目で見ているとか。ったく、野暮な連中だよねぇ。何でもかんでも合理化&効率化を良しとする昨今では「粋」という世界観が通用しないのだろうか。おいおい、枠(わく)じゃねぇぞ粋だぞ、この野郎。粋とは「カッコいい」+「余裕」+「色気」を「こだわり」でサクッと割ったような感じだろうか。それに「ちょっぴり回り道」をトッピングしてもいいかも知れない。そんな男になりたい僕がいる。


「ケチャップではなくマスタードにしてください」と言葉を発せず伝えてご覧

あなたも年に一度は瞳孔を開いてみませんか?「オープン・ザ・瞳孔同好会」会長の杉山弘道です。かかりつけの眼科で両目の瞳孔を嫌でも開き続けて早7~8年。いいかげん、スマホ片手の君たちもこの僕に心を開いたらどうなんだ。歩いて帰る途中、車のライトがまぶしくて信号が見えやしない。昨日、店内に大音量を流すコンビニをテレビで見た。口や耳が不自由な方が買い物をする際に意志を伝達することがいかに難しいかを体験する店だった。「お箸を二膳ください」というジェスチャーはできても「ケチャップではなくマスタードにしてください」という身振り手振りは難しい。案の定、僕たちは完璧に目に頼りすぎているということを激しく痛感した一日だった。さらに気付いたことはよく見えないと饅頭の味もよく分からない。ま、もともと笑っちゃうくらい味覚オンチな僕だけど。