達観雑記一覧

そこにいるだけでいい

やはり僕の五臓六腑には魚卵はNGなのか昨晩のたった十数グラムの辛子明太子が這うように腹痛を勃発させた今日この頃、社交辞令でいかがお過ごしでしょうか。午前8時過ぎに結衣ちゃんが手術を受けたので大学病院までお見舞いに行ったジイジだった。可哀想な結衣ちゃん。温かい心の持ち主の君たちなら100%そう思うよね。だったら、喜んで代わってやったらどうなんだ。この口先だけの安い哺乳類たちが。ハハハ、でも大丈夫だお。スーパー・バトルサイボーグであるこの僕のDNAを確実に受け継いでいるせいかフルーツゼリーを一気呵成に完食したよ。だから、心配は要らないけどお金は欲しい大和田(爆)。おいおい、今年に入って「O」キーを打ったら「大和田」と変換されるパソコンってどーなんでしょうかねー。以前「私はここにいますよ」という単なる「生存確認」など何の意味もないから「あの人がいなきゃ」という相手の心に印象付ける「存在確認」を示しなさいと言った僕だが、今となっては「生存確認」だけで十分だと思う今日この頃、明日は元気に退院だよ。

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(S)武生中央公園店とヨコガワ分店のボルガライスで人生のトッピングを考える@福井県越前市

そのとき僕は純度の高い糖分と密度の低い平和をこよなく愛す高圧的な54歳で一人きり北陸本線の列車に身を任せていた。当然のように青春18きっぷの権利を行使した54歳の僕だった。ところで高圧的な杉山と高血圧の弘道のどっちが短命だろうか。だから、そんなことはどーでもいいんです。ちなみに、血の気が多いジジイの割には僕の血圧は120~70というネタにもならない数値なの。乗り継ぎの敦賀駅のホームに高倉健よろしく立った僕は「51歳のピエール瀧ってこの先どうやって食っていくのだろうか?」と疑問形でつぶやいた。半世紀以上も生きれば初心や原点に戻るどころか1からのスタートなどあり得ない。人生にリセットやリフォームはあり得ない。もしできるとしたら今までの自分に何かをトッピングすることくらいしかない。僕はJR武生駅から18分ほど歩いた。

中央公園に段差もなく面したスタバ@武生中央公園店はとてもコンフォタブルだった。はしゃぎ回るちびっ子たちをガラス越しに眺めながらすする「ムースフォームキャラメルマキアート」は圧倒的に美味しかった。今回はミルクを豆乳に換えた。しかし、これはトッピングではなくカスタマイズだ。

ふと気付いたら1時間ほど経っていた。ストナリニのせいでウトウトしちまったぜ。スタバを出ると「ちひろの生まれた家」記念館で大いに癒された僕。その後、本店は存在しない『ヨコガワ分店』で一人きりランチを堪能した僕。しかし、これはオムライスの上にトンカツをトッピングしたわけでもカスタマイズしたわけでもない。武生界隈でこよなく愛され続けている「ボルガライス」という名のソウルフードなんだ。これでトッピングするだけでもいかに難しいかということがお分かりだろう。

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嗅覚を研ぎ澄ませばより豊かな暮らしができる!かもよ

トッポをかじりながら「僕にとっての史上最悪な罰ゲームとはいったい何だろう?」と考えた結果、ドーバー海峡を立ち泳ぎ限定で横断させられることだった。そのシーンを目を閉じて想像していたら急に動悸が激しくなって何も手に付かなくなったという理由で今日一日を過ごしたことは何かしらの罪になるのだろうか。いいえ、罪にはなりませんが大きな病院で診てもらうことをおすすめします。どうもありがとう。お話はコロッと変わるが、旅先などで「お!懐かしい風景だなぁ」と思うことがしばしばある。これはデジャビュとはまた違うもので「美濃町のおばあちゃんちの縁側にそっくり」「野良犬に追っかけられた大洞光輪公園の原っぱみたい」ってな感じだろうか。この僕の少年の日の思い出に一緒に浸ることができて君たちって本当にハッピー野郎だね。で、それは視覚なんだよね。ある光景を見てそのように感じるわけだが、ところが何かのニオイを嗅いだときにもまったく同様にそう感じることがある。それがすっごく不思議で心地いい。しかも視覚より嗅覚のほうがより鮮烈なインパクトがあるように思えてならない僕がいる。なぜだろう?ニオイだけだよ。5日前の龍野城の帰りの列車の中で僕の左隣の席に34歳と7か月くらいのうだつが上がらなさそうな男性が座った。彼の体臭なのか香水なのか、はたまたそれらが絶妙の塩梅で混ざり合った化学物質なのか、とにかく僕にはモーレツに懐かしく心地いい匂いだった。ただ、それが僕の少年期なのか青年期なのか浜松の独身寮で寂しくて号泣していた頃の匂いなのかは分からない。視覚の記憶は腑に落ちるが、嗅覚にもそれがあり、しかもそれは視覚以上のインパクトがあるのがすっげぇ不思議だ。よく「味は味覚より嗅覚で決まる」と言ったりするが、鮮明に残る記憶も視覚より嗅覚かもしれないね。ま、何れにせよ五感のうちの80%以上を視覚に頼りすぎている日常生活を改めようと思った。とりあえず花粉症で鼻が詰まっている君たちはすぐにでも処置をして嗅覚を整えたまえ。今日の晩ご飯は視覚を使おうが嗅覚を使おうが福耳を澄ませようが残り物のご飯で作ったエビチャーハンの味に変わりはなかった。

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怒っている客は常に正しい

例えば、僕がロリポップ!に電話で質問をしたとしよう。すると「生粋の文系の僕でもそれくらいは理解しています」というレベルから丁寧に説明してくれるんだよ。しかしだ、さくらサーバになると「すみませんが日本語でしゃべってもらえませんか?」と言いたくなるんだ。そして、先方の男性は「サイトの14ページを見ていただくと・・・」と返すため「だから、それを見ても分からないから電話をしたんです」「・・・」の繰り返しになるんだよ。そこで僕は「あのね、僕はあなたの態度に怒っているんだよ」「・・・」「僕がトンチンカンな質問をしている困ったちゃんだとしてもだね、毎月ちゃんとお金を払っている大切な顧客を怒らせるほうがトンチンカン以下の大バカ野郎でしょ。ずーゆーあんだーすたん?」。場面は変わって「杉山さん、あの人ってバカ?何を言ってもまったく理解してくれません」とタダで相談されたとしよう。ハハハ、バカはお前だ。ほら、ご覧。あの人は怒っているんだよ。人間的にどうであれ、性格に問題があるにしろ、理解力が致命的でも、あの人は怒っているんだよ。怒らせる側に100%非があるという常識さえも分かっていないお前がバカだ。そんなことよりトシコちゃんの美容室でバシッと短くした僕だった。これを「腰痛が原因でやむなく除隊した元グリーンベレーの老兵カット」と名付けよう。さぁ、君たちも髪がある今のうちに一緒にエンジョイしよう!しかし「これってホコリのカタマリか?」と驚くほどに後頭部は真っ白だった。

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あっちやそっちの世界のピエール新井と愉快な仲間たちなず

昨日、僕が攻めた龍野城は大河ドラマの『軍師官兵衛』で知った。その中で蜂須賀小六を演じたのはピエール瀧であり、同じく大河ドラマの『真田丸』で加藤清正を見事に演じたのが新井浩文だった。大河ドラマよ、あなたって大麻ドラマは・・・。はい、2人は大麻とは関係なかったよね?ハハハ、似たようなものかしら。ったく、困ったもんだぜ。2作品とも晩ご飯のおかずの厚揚げと同じくらい大好物なのにこれじゃあ見れないじゃん。賢明な君たちならもうお気付きだと思うが「見れない」はら抜き言葉なので正しくは「見られない」だよね。そこで思うのだが、主演にしろそうでないにしろ出演者が何かしら問題を起こした際にイチイチ作品がお蔵入りになっていたらキリがない。だって、あっち系の人間ばっかなんだから。午前9時から午後5時まで働いて晩には家族で食卓を囲みながら缶ビールを飲むのが唯一の楽しみという人間はそっちの世界には絶対に行かない。そもそももともと危なっかしいデンジャラスマンばっかなんだから。だよね?そこでどうだろうか、この際、出演者に執行猶予の付かない懲役8年以上の刑が確定したときに限って今回のような措置を取るというのは。ま、それも賛否両論だと思いますよ。あっちやそっちの世界の事情はこっちのまともな人間たちには関係のないことだから、お気に入りのドラマをお預けさせるなどという愚かな行為は僕たちを2階に上げておきながら勝手にハシゴを外すようなものだと思うがいかがなものか。はい、ムダにロングな巻頭文はここまでです。かく言う僕も薬が切れたのでマツモトキヨシで最小単位で買って来たなず。現在進行形の「なう」と過去完了形の「わず」を足して2で割った@この僕が開発した現在完了形の「なず」をこの僕とご縁のある君たちにも使うことのできる権利と義務をタダで与えてあげるなず。

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人生の改行と読点もズレている

「夫婦関係がほぼほぼ破綻している」「上司&部下の関係がギクシャクしている」。そんなイチイチ残念ちゃんな君たちに愛と勇気のメッセンジャーであるジョージ・クルーニーを23発くらい殴った直後の膨張した顔に激似の僕がその原因をタダで教えてあげよう。でもね、50円だったら払っても構わないと言う奇特な君、僕は決してそれを拒んだりはしないよ。ちょっと前に「双方の笑うツボがズレている」と説いた僕だが、感動の第2弾は「人生の改行と読点もズレている」だ。ほら、ご覧。この嘆かわしい【人生の改行】を。正直、この僕はこの店の店長とは上手くやっていけないだろう。例えば「今日朝ご飯に」と書く哺乳類とはこの僕は上手くやっていけそうもないだろう。僕だったら「今日、朝ご飯に」と必ず読点を打つ。今日朝って今から日朝首脳会談でも派手に行うつもりかよ。句点「。」を打たない気持ち悪い奴など生ゴミ同然だが、読点「、」の位置にはモーレツに違和感を覚えることが結構多い。僕のブログはあえて改行も段落も設けることなく可能な限り読点を省略して書いているが、読点が問われるのは文章などの読み物だけでなく会話の中の「間」も読点のひとつと言えよう。改行と読点の感性が一致するかどうか。それが何気にインポータントなの。昨日、鳥羽で買って来た赤福餅を一気呵成に呑んだらハッピーが止まらない。こんな日が毎日、続けばいいのに。

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小さな成功の延長線上は所詮、小っちぇ

やっぱ僕は違うと思うんだよね。君もそう思わないかい。安い世間ではよく「大きな成功を狙う前にできるだけ小さな成功を経験したほうがいい。その習慣がいつか大きな成功につながるから」などと知ったかぶったことを言うよね。この僕も疑心暗鬼になりながらも昔はそのようなことをメルマガに書いた気がするけど、やっぱ僕は違うと思うんだよね。君もそう思わないかい。例えば今日だけど、紙パックのジュースのストローぐちに貼ってある銀色の膜をストローで突き破った僕は、ストローの中に銀色の膜を入れないことに見事に成功したんだよ。僕ってエライ?僕ってグレイト?このような成功を積み重ねると東証一部上場企業の社長になれる?だから、そーいうことだ。むしろ逆に小さな成功を積み重ねることに慣れた奴は「成功ってマジ簡単」と小っちぇことで満足する哺乳類となる。ま、それはそれでOKだけど要注意なのは小っちぇことしかできない体質になっちまうってことさ。

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かるび庵の焼肉で「その管を抜くな!」を説くということ@岐阜県本巣郡

この僕の喜びっぷりをチェルシーのように君たちにも分けてあげたい。ハハハ、過剰に溺愛している愛車のドリーム号のプチ整形が無事に終わって戻ってきたんだ。とは言っても、昨年のお盆休みから5回くらいしか運転していないけど。今日もしていないし。まあいい。そのお祝いを兼ねて北方町のかるび庵で焼肉を堪能した杉山家だった。ハンバーグなどではなく、久しぶりにザ・肉をむさぼると僕の中の封印されていたオスの部分が一気呵成に脂ギッシュになるかと思いきや、さっきから胃痛が止まりませんがね。もうオスうんぬん以前にヒトとしてダメかもしれない。その席で人工透析治療を中止して患者を死亡させた病院の話になった。目の前にはロースやハラミなのに・・・。終末医療の定義は1ミリも知らないが、僕はムダな延命治療は望まない。ただ、絶対に自分から命を絶つことはあり得ない。他人から非難されようが無視されようが罵倒されようが木曜日の生ゴミ扱いされようが地べたを這いつくばってでも1分でも1秒でも粘って生きてやる。人生に勝ち負けがあるとしたら、生きたもん勝ち。だから万が一、パパが入院して全身がコブクロのようなチューブだらけになってもお前たちが勝手に決めて勝手に抜くな。そんな話をしながら食ったホルモンの味はそれなりだった。

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義理を欠く以上、縁を切る未満

いいんだよ。俺のことを大嫌いだとか鬱陶しいジジイだとか好き勝手に言うのはさ。所詮、俺なんてやることなすこと中途半端な男だし1000%罵倒されても仕方がないゲス野郎なんだよこの俺は。だからさ、周りからバカにされる間抜けなピエロになっても俺はOKなんだよ。ただ、俺はいいけどSUGIYAMAはどうかな。そこんとこ夜露死苦!つい先日と言っても半月以上も前のことだが、古い友人から「TさんもSさんも来るから杉山さんも来てよね」と飲み会に誘われた。俺はいいけどSUGIYAMAはどうかな。はい、イチイチくどくてすびばせんねー。正直、往復1万円もかけて行きたくもないし面倒臭いし。そりゃ仲間たちに会ったら会ったで楽しいだろうけど会わなかったら会わなかったで僕の人生に何の影響もないだろうし。ハハハ、ちったあ影響を及ぼすようなすっげぇ立派な哺乳類はいねぇのかよ、この野郎。そりゃ新たな出会いやさらに親交を深めるような飲み会はきっと素晴らしいだろうけど協調性が0の僕には未来永劫、必要ない。時間や空間を共有することが億劫というか嫌で無理。50歳を過ぎたら史上最強のわがままなダンディになると予測していたが、そのレベルをはるかに超えるわがままっぷりとなっちまった僕がいる。さぁ、いい年こいた男も女も義理を欠こう。変に気を使って手当たり次第に付き合えば、本当に大切にしなければならない相手が見えなくなる。いい人を演じるのはもうやめにしよう。平成最後となるかもしれない鉄板焼きそばをすすりながら「義理を欠く以上、縁を切る未満がパパの理想さ」と次女につぶやいていたパパは僕。

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私は嫌いだシリーズ第19弾:「アンチエイジング」

「気合だ!気合だ!気合だ!」のアニマル浜口に対して「嫌いだ!嫌いだ!嫌いだ!」の私は嫌いだシリーズ第19弾。私は「アンチエイジング」が嫌いだ。ん?以前にやったか?まあいい。何回でもやってやる。「年を取るのはステキなことです、そうじゃないですか~♪」という歌は中島みゆきの『傾斜』だ。この歌詞に「傾斜10度の坂道を腰の曲がった老婆が少しずつのぼって行く」とある。そっと目を閉じてジッと想像してご覧。実にビューティフルな光景じゃないか。アンチエイジングがもてはやされる昨今だが、いくら努力・忍耐・根性・資金で踏み止まったところで必ず限界はある。むしろある程度まで踏ん張ったらある日突然、雪崩の如く一気に崩れちまうぞ。だったら、年相応に老けていったほうがはるかに美しい。それをウィズ・エイジングと言う。男も女もそうだが、自然の流れに身を任せながら日々をゆったり暮らしている者たちのほうが優雅でステキだろう。大学病院の「生きているだけで御の字」という時空に身を置いていたら改めてそう感じたジイジと孫娘だった。

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