天下布武一覧

醤油だんご串と犬山城と米粉の小倉マロンクレープと

死ぬほどひどい腰痛に悩まされていたのでいつもの治療院に電話をしたが、まったく出る気配もなかった。残念ながら、どうやらまだ正月休みらしかった。

朝から今日一日の計画が狂ったので、次女を誘って犬山城へ出掛けた。

気のせいだとは思うが、城を眺めていたら腰の痛みも若干、和らいだ。

必要以上に堪能したので岐阜駅に戻り、米粉のクレープを食べながら帰った。

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烏骨鶏ラーメンのその後に大いに味わった新春の岐阜城

今年の城めぐり第1弾は、やはり地元の岐阜城へ。絶好の山城日和だった。

その前にいつもの店でいつもの烏骨鶏ラーメンを食べた。

風は冷たかったが心は温まった。今年は50以上の城をめぐろうと思っている。

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空に映える和歌山城(和歌山県和歌山市)と大阪城(大阪府大阪市)

案の定、目覚ましが鳴る前どころか4時に起きた。おかげで仕事がこなせた。

最近、旅先のホテルではローカルTVを観るのが楽しみのひとつになっている。

ホテルの目と鼻の先にある和歌山城へ行った。これは重要文化財の岡口門。

岡口門をくぐった虎口から、宿泊したダイワロイネットホテルが見えた。

虎伏山に聳える大天守と小天守が、朝陽と青空に映えて100%美しかった。

重厚な楠門が天守への入り口となる。それにしても腹が立つほど快晴だった。

早朝ゆえに誰もいないし、想像以上に美しかったので一人ではしゃいでいた。

寒風吹きすさぶ中、天守最上階からの眺めを350度くらい歩きながら収めた。

5年前に復元された二の丸と西の丸を結ぶ御橋廊下は勾配があり雅だった。

江戸時代には藩主だけが渡ることができた御橋廊下を個人事業主が渡った。

また雅な西の丸庭園を一人きり歩いた。冷たい池の中の鯉が印象的だった。

けやき大通りから朝陽を背にした和歌山城を見上げた途端、くしゃみが出た。

一の橋が架かる大手門を最後に和歌山駅へと向かった。

森ノ宮で降りようか大阪城公園で降りようか迷っていたら森ノ宮を過ぎていた。

青屋門を立ち止まって舐め回すように眺めているのは私くらいのものだった。

逆光の大阪城と極楽橋。この距離の眺めがいい塩梅で実に素晴らしかった。

大阪城を観るたびに日本史を学びたくなるので急に三省堂へ行きたくなった。

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堀川運河と飫肥城(宮崎県日南市)と鬼の洗濯板(宮崎県宮崎市)

宮崎の2日目は先日、購入した青春18きっぷを利用して日南線を愉しんだ。

車両の側面にある行き先表示板を手動で交換するあたりが趣があっていい。

南郷行きの電車に1時間半ほど揺られレトロな港町の油津に着いた。今日は全国的に真冬日だったようだが、日南の空は絵の具を塗ったような青だった。

5分ほど歩くとサンプラージュ岩崎という寂れた商店街というかアーケード街があった。なんとかならないものだろうかと思案したが、なんともならないだろう。

大正10年頃に建てられた油津赤レンガ館が目立たぬようにひっそりあった。

油津を代表する景観の堀川運河と堀川橋が陽に映え、とても印象的だった。

日南線を油津から宮崎方面へ2つ戻ると今回の主たる目的地である飫肥へ。ちなみに、飫肥(おび)と読む。女性駅員の振る舞いが丁重で清々しかった。

今町橋の真ん中から滔滔と流れる酒谷川を見下ろし、山と空を眺めた。

信号でせき止められた小さな間口の路に入ると、そこは大手門通りだった。

その途中にある豫章館は、飫肥城下では最も格式の高い武家屋敷のようだ。

飫肥のシンボルの大手門。復元には樹齢100年以上の飫肥杉が使われた。

大手門虎口に身震いした。人っ子一人いなかったので360度を収めてみた。

空の青と壁の白のコントラストが、まるでエーゲ海に浮かぶミロス島のようだ。

とは言ったものの、ギリシアにもマレーシアにも私は一度も訪れたことはない。

だが、シンガポールには一度だけ訪れたことがある。その際、せっかくだから隣国のマレーシアに行っておけばよかった。なぜかそんな後悔で凹んでいた。

しかしながら、一瞬で気を取り直すと旧本丸跡へと続く石段を丁寧に登った。

旧本丸跡には、樹齢100年以上の飫肥杉が整然と林立していた。

貴重な飫肥の商人屋敷で小豆あんロールをいただき、熱いお茶で味わった。

この界隈の店のほとんどが食べ歩きマップの加盟店だったので、なにかしらの特典と交換した。街ぐるみで盛り上げている雰囲気が伝わり、とてもよかった。

空腹のピークだったので松万という食堂で鰻丼を食べた。だが、ゴムのような鰻だった。カレーライスやオムライスを扱うような店で注文した私がバカだった。

飫肥駅の正面。飫肥は小京都のような風情ある街並みで大変気に入ったが住もうとは思わない。ここはここでいい街。それ以上でもそれ以下でもない。

さらに日南線を宮崎方面へ戻った。それにしても電車の本数が少な過ぎる。

約40分で青島駅に着いた。2つ上の飫肥駅のそれとは打って変わった感じのポップカラーな駅舎だった。海に近いせいか、腹が立つほど風が冷たかった。

午後4時。日没まであと1時間ほどだったが、まだ辺りは明るく、美しい景色を堪能できた。観光バスで来た客が大勢いた。一人旅は私くらいのものだった。

青島神社でトイレを借りよう思いきや、「50円」と書いてあったので我慢した。

干潮時には波状の隆起が現れる「鬼の洗濯板」が目の前で実に見事だった。

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心拍数がべらぼうに上がった山頂に聳える岩村城(岐阜県恵那市)

同じ岐阜県なのに一度も乗ったことがなかった明知鉄道で岩村へと向かった。

ここまでの趣は要らないと思うくらいレトロのさらに前のアンティークだった。

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている古い街並みを一人、歩いた。

今回の目的は当然、岩村城。再建された太鼓櫓と表御門が迎えてくれた。

本丸に続く勾配のある山道を購買部が大好きだった弘道がひたすら登った。

日本一高い地に築かれた山城だけあり、一気呵成に登ろうと無闇矢鱈に張り切ったら吐きそうになった。47年間も働き詰めの心臓が一瞬、悲鳴を上げた。

本丸の六段の石垣はとても有名であり、岩村城を代表する景観のひとつだ。

やっと呼吸も整ってきた。ちなみに日本三大山城とは、岩村城、高取城、備中松山城のことを言う。賢人であるならば、常識の範囲として覚えておくことだ。

遠い紅葉が美しかった。紅葉といえば、最近では尾崎紅葉よりも山村紅葉を思い浮かべてしまう。まず間違いなく2時間サスペンスドラマの観過ぎだろう。

ふと岩村を訪れてから何も飲み食いしていない現実に気づき、指定文化財の勝川家の中で営んでいる蕎麦屋ゆいに入った。

温かい天ぷらそばを注文した。風と雨で冷えた体にはまったく嬉しかったので汁まで飲み干したかったが若干、塩分が気になったのでここはグッと堪えた。

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初雪が舞ったと思いきや数分で吹雪になった五稜郭(北海道函館市)

なぜか上海ではなく、函館に行きたくなりセントレアから函館空港へ飛んだ。

機内でiPodを操作していたら、あっと言う間に到着した。予報では雪だったが、空港に降りたときは快晴だった。大して寒くは感じなかった。

ホテルにチェックインするや否や、すぐに市電で五稜郭へと向かった。

上空は快晴の二の橋だが、ちょっぴり雪が舞った。どうやらこれが初雪らしい。

敵が石垣を上るのを防ぐために一工夫された武者返し。このような小さな発見に大きく感動した。最近はLEGOブロックでさえも石垣に見えてしまう。

立派という安い言葉以上に美しかった箱館奉行所。寒かったせいか、ほとんど観光客はいなかったので隅々まで舐め回すように一人、眺めた。

隣接する五稜郭タワーの展望室に昇った。その受付の女性からは「何県からお越しですか?」という集計結果が大いに気になるアンケートを訊ねられた。

五稜郭の☆型を確認できた。また、タワーの影がいい味を醸し出していた。恒例の100名城の記念スタンプだが、面倒臭いので今回から捺すのをやめた。

これが上から見た箱館奉行所。ジオラマのようでいい。

五稜郭に背を向けると津軽海峡が5cm先(デジカメ画像上)に広がった。

シースルーフロアからは86m下が確認できた。脚立の上にも立てないほどの高所恐怖症だが、ここまで高いと割り切れた。ちなみに、飛行機は大好物だ。

快晴から一転して30分後には吹雪となり、五稜郭に薄っすらと雪が積もった。

午後5時。駅から徒歩5分の函館山という料理屋で海鮮物を堪能した。ただ、若い衆が厨房の中でキャッキャと喋り過ぎていたのが非常に残念だった。

ホテルの部屋から右上の函館山を眺めた。しかしながら、東横インのネオンが異様に目立ち過ぎている。とりあえずフォトショップで消そうと思ったがやめた。

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真っ青な絵の具の中に浮かび上がる郡上八幡城(岐阜県郡上市)

春先の花粉と真夏の徹夜踊りさえなければ、せいぜい2~3年くらいだったら住んでみたいと思う大好きな郡上八幡へ車で向かった。

吉田川に架かる橋の上から撮影した郡上八幡城。すこぶる快晴だった。

決して大したことはないと知りつつも、定番の宗祇水まで活字で「ぶらぶら」と書けるくらい無気力及び脱力系な観光態度でぶらぶらと怠慢に歩いた。

大きな土産物売り場にあった極めて美味しそうな食品サンプルだが、これが作り物とは分かっていても、本気でかじりたくなるほど見事な出来栄えだった。

しかし、これは本物の鰻。美濃錦のうなぎ丼は偏差値52レベルだった。

城への登り口にある山内一豊と千代の像。その背後には天守が垣間見えた。

その天守へと続く The Long & Winding Road を15分ほど掛けて登った。

大垣城を参考に造られたこの模擬天守は、全国的にも珍しい木造である。

天守最上階からの美しい眺めだが、郡上八幡を舞台にしたサスペンスドラマのほとんどはこのシーンから始まる。眼下の城下町で誰かが殺されるんだ。

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想像以上だった松江城と想像どおりだった宍道湖(島根県松江市)

ふらっと一人で松江に向かった。とは言え、宿題として考える仕事のテーマは頭の中にあった。結局、宿題はできなかったが最初からやる気もなかった。

JR岡山駅から乗り込んだ特急やくも9号。山間部を走る振り子列車だけあり、そこそこ揺れたが、かえってそれが私には心地良いくらいだった。

岐阜から5時間以上も掛けてやっと辿り着いたJR松江駅。県庁所在地にある主たる駅なのに自動改札ではないことに驚いたというか、妙に嬉しかった。

駅から歩いて松江城に向かった。その途中、大きな橋の上から宍道湖方面を撮影した。少しばかり曇天だったが、それもまた風情。

堀川をめぐる遊覧船にデジカメを向けたら、あろうことか数人が私に手を振ってきた。私は友人でもない輩に手を振る習慣はないので一切、無視した。

駅から15~20分くらいで松江城に着いた。目の前には素晴らしい石垣群が出迎えてくれた。

もっともっと小さいイメージを勝手に抱いていたので、いきなりのこの荘厳さに押し潰されそうになった。当然、そんな気がしただけだ。

「松江城を国宝にしよう」という運動が盛んに行われていたが、その気持ちが分からないでもない。だが、そのような運動に左右されるものなのだろうか。

嗚咽しそうなくらいだ。目の前に高倉健が立っているような感動を覚えた。

それが菅原文太でも構わない。ゆえに松江城は、私には任侠路線に思えた。

男性ホルモンをくすぐるような太い柱と梁。やはり現存するだけのことはある。

天守から宍道湖を眺めた。海のような淡水に遠い憧れを抱いた。

ご婦人の団体が「日本三大山城って知ってる?」とか喋っていた。今、流行の歴女などではなく、実際に江戸時代から生き残って来たようなご婦人方が。

ちなみに当然、松江城は日本三大山城の1つではない。思いっ切り平地だ。

「日本100名城」の中の64番。また、12しかない「現存天守」の貴重な1つ。

風情ある塩見縄手を歩いた。すると、いい感じに日が照ってきた。

小泉八雲の旧居。小泉八雲という名前は、微妙に左右対称だ。

縁側がいい。ふと美濃町の生家を思い出した。

畳がいい。ただ、実際に暮らすとなるとフローリングのほうが掃除をしやすくてメンテナンスも楽なので間違いなくいいと確信している。

ちょうど17時。今回の楽しみの1つでもあった宍道湖の夕日だ。日没が17時31分だったが、そのたった31分間が待てなくてこの場を立ち去った。

なぜならば、空腹だったから。宍道湖の近くにある鰻屋のいづも屋に入った。

それが期待外れもいいところで、大目に見てもせいぜい65±5点だった。

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大好物の名古屋城と大したことはない矢場とんのわらじとんかつ@愛知県名古屋市

静岡駅前にあるホテルで一泊した翌朝、乾燥した部屋のせいか喉がすっげぇ痒くなった。その帰り、せっかくだからと大好物の名古屋城へと向かったが、そこにたどり着く前の市役所駅が何気にいい。

ベストビューポイントの金鯱が輝いていた。快晴より曇天に映える立ち姿といったところだろうか。

空腹とは3センチくらいの距離があったが、名鉄百貨店内の『矢場とん』でとんかつを食ったった。女性従業員の態度は横柄で味も大したことはなかった。これで繁盛しているのだから世の中は甘い。

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犬山駅前の居酒屋が白木屋と魚民だけでは国宝が泣く

この忙しいときに大分県から1人の税理士がやって来たので東へと向かった。

彼は「犬山城が見たい」と駄駄をこねたので胸焼けがするほど執拗に見せた。

日も暮れぬ午後5時。白木屋か魚民か迷った挙句、前者でかなり安く終えた。

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